第一章  キューブサットとの出会い
語り手:澤田 弘崇 (さわだ・ひろたか)

自分は、4年のときは熱流体エネルギーの研究室にいて、大学院になってから松永研にきました。99年の初代カンサットから、衛星プロジェクトには関わっていたことになります。最初のカンサットはきつかったですね。楽しむ余裕は一切ありませんでした。3つカンサットを作って、そのうち、自分はセンサーをたくさん積んだ「[etc.](エトセと読みます)」というカンサットを担当したんですが、相当にテンパっていました。テンションがみんなあがって、ものすごい勢いで開発に取り組んでいました。

特に、自分の場合は、基板を自動的に作ってくれる「サーキットライター」という機械がうまく動いてくれなかったために、悲惨な目にあいました。この機械は、何千万円もするので、素晴らしい基盤が手軽に作れると期待していたら、こいつが使えない奴で、まともな基板ができないんです。必死で調整して取り掛かるんですが、表に2時間、裏に2時間かかる半日がかりの作業なのに、できた基板が使い物にならないんですよ。がっくりしては、気を取り直してやり直して、ということを何度も繰り返しました。

最初のカンサットは、感光基板ではできないような複雑な回路だったので、その機械を使わざるを得なかったんですが、何度やっても、線がきれていたり、どこかがおかしかったりで、完全なものができなくて、どんどん出発日は近づくし、つらかったですね。

出発日の朝になって、やっと一枚まともなのができて、荷物に詰めました。もちろん、素子なんか載せている時間はなかったので、アメリカに着いてから作業しました。センサーをたくさん載せていたんですが、やっぱりあまりうまくいかなくて、通信も通りませんでした。多少データがROMから取れたのが救いでした。

どうして自分が宇宙に関わるようになったかですか?そうですね。もともと星が好きだったんです。子供のころは、星のアルバムなんかみて、喜んでいました。むしろ、理学系だったんじゃないかと思います。でも、高校くらいのときには、ロケットとか機械のほうに、より惹かれるようになったみたいです。子供のころから、機械をいじるのが好きで、テレビが壊れたりすると、全部分解してしまったりしていました。電池とモーターを買ってきて、何か作って遊んでいたりしてたみたいです。あ、そうそう、ガンダムのプラモデルなんかよく作っていました。

で、ソフトはきらいなんです。プログラムを書いたりするのはあまり好きじゃなくて、キューブサットのプロジェクトでも、ソフトに関わったのは、ほんのちょっとです。熱真空試験のときにちょこっとだけやりましたが、やっててもあんまりワクワクしないんですよね。機械を作るときは、設計のときからワクワクするんですけどね。自分はけっこう外見というか見栄えも大事だと思っているので、きれいに見えるように、設計の段階から考えますね。

 
Designed by H.Sawada

カンサットで、衛星を作るのはは相当に大変だとわかっていたこともあって、ハワイでの会議で「キューブサット」のコンセプトを聞いたときには、「本当にできるのかなあ」という感じでした。おもしろい話だとは思いましたが、そんなに深くは考えることができませんでした。衛星を作るなんてことはもちろん、すべてが初めてのことですし、どんな開発になるか想像もつかないのに、「打ち上げは来年!」みたいな感じでしたから。漠然と、「ここまでに構造を設計して、回路を作って・・・ホントにできるかな?」としか考えられませんでしたね。そんな感じでしたが、自分が初代プロマネをやることになりました。

  証言:中谷 幸司(なかや・こうじ)
澤田は、構造に関しては天才的で、誰もが認めていました。努力して身につけたっていうものじゃなくて、生まれながらのセンスみたいなものがあるんですよね。デザインも群を抜いてうまかったですね。衛星のイメージ画とか、ホームページのデザインとか、みんな澤田が作っていました。