初めての設計は分離機構
語り手:柏 宗孝(かしわ・むねたか)

● 分離機構大検討会

打ち上げロケットがいろいろ変更になったために、衛星をロケットから切り離すときに使う分離機構を自分たちで作ることが決まりました。東大は、カルポリが作る予定だった分離機構の設計をそのまま使うようでしたが、東工大では、別の設計にしようということになりました。

2002年8月くらいだったと思います。「分離機構大検討会」ということで、全員でアイディア出しをやりました。松永先生は、もともとカルポリがつくろうとしていた箱型の分離機構はあまりよくないのではないかというご意見で、ご自分でもアイディアを出されました。立方体にこだわらずに、キューブサットの四隅を伸ばして、足を出して爪をひっかけて衛星を爪でつかんで固定するというもので、キューブサットはカルポリの箱型と異なり、半分むき出しの状態です。

澤田さんも同じようなことを考えておられたみたいで、結局この方式で分離機構を作ることになりました。松永先生と澤田さんが設計を詰めて、細かい部分は自分がやることになりました。 

このプロジェクト全体で、間一髪とか、ぎりぎりだったことは数多くあって、周波数取得もその例外ではありませんでした。

無線免許申請は総務省に対して(実際は、関東総合通信局というところを通して)行うのですが、当初は「説明を聞く限り、CubeSatがアマチュア無線帯を使用することは適切でない」と返答されました。何事もそうですが、規模が大きくなるにつれて「前例がない」ということが一番の大きな壁になります。その返答を受けて僕たちは、「もしも免許なしで打ち上げたらどうなる?」とか「アメリカに衛星を売って向こうで免許取ってもらうのはどうか?」など議論を交わしつつも結論が出ないまま、途方に暮れていました。

証言:澤田弘崇(さわだ・ひろたか)
ミーティングで分離機構の案を出し合ってもなかなか話がまとまらずにいたころ、ある日突然松永さんが、「そろそろ真剣に分離機構方式を決めて設計し始めないとまずい」と言い出し、自分と中谷の2人が松永さんの部屋に呼び出されました。そこでCUBEの足を延長して、延長した部分の窪みにラッチをかけるという今の分離機構の案がまとまりました。

● 初めての設計

自分は、4月に松永研に入ったばかりで、ホンモノの設計をしたことはありませんでした。設計の勉強はしていましたが、実際のモノの設計の経験は全くありませんでした。それが、衛星プロジェクトの命運を分けてしまうような大事な分離機構を設計することになったのです。分離機構が失敗すれば、ロケットが失敗したのと同じ結果になってしまいますから、身がひきしまる思いでした。また、ちょうど分離機構の検討会が開かれる1ヶ月前に行われたARLISSで、自分が作成に参加した2機のCanSatが両方とも失敗に終わっていたこともあり、分離機構を設計するにあたっては「絶対にちゃんと動くものを作ってみせる」という思いで、取り掛かりました。

breadboard model

その頃まだ打ち上げがいつ頃になるのかが正確に決まっていなかったので、分離機構はいつ打ち上げに決まっても大丈夫なようにすぐに設計する必要がありました。さらに打ち上げまでに分離機構を完成するだけでは駄目で、出来上がってきたものが正常に動作するかどうかの試験をいくつか行う必要があったので、設計そのものにかけられる期間は1ヶ月もありませんでした。

証言:澤田弘崇(さわだ・ひろたか)
その後の作業は大きく分けて4つくらいありまして、@ラッチの駆動部の設計、ACUBEの柱(足)の設計変更、Bナイロン線の固定部分の設計、Cナイロン線の切断部分の設計、でした。 自分が全部やっている時間がなかったので、とりあえずポンチ絵を作成し、@の部分機構のしくみを柏に説明して設計してもらうことになりました。残りのA〜Cは自分が設計することになるので、結局は柏の設計が終わった段階で,こちらが設計したものと組み合わせてインターフェースの調整をしなくてはならなかったのです。CUBEの柱と分離機構のラッチがちゃんと組み合わさるか、ナイロン線の固定部分や切断機構を組み込見込めるかなどをチェックしながら柏が設計したデータや自分が設計したものを調整する必要が最初からありました。

11月にハワイでUSSSという日米の宇宙工学を学ぶ学生のシンポジウムがあり、自分も参加しました。その時には分離機構の設計は終了し、発注していた部品が届き始めていて、帰国後に筑波にある旧宇宙開発事業団で行う予定になっていた振動試験の準備をしていたところでした。そこで、自分がUSSSに行っている間、届いた部品の組み立てを澤田さんにお願いしていました。しかし、自分がハワイに行っている間に届いたバネの寸法が間違っていたため、すぐに再発注する必要があるというメールを澤田さんから頂いていたのですが、ハワイではメールを確認していなかったので気が付きませんでした。そのため澤田さんに代わりに設計・発注していただくことになり、非常にご迷惑をおかけしました。

証言:澤田弘崇(さわだ・ひろたか)
柏にEMを設計してもらったんですが、その設計の中で、ネジの位置や部品の固定方法、ラッチの形状など直さなきゃいけないところがけっこうありました。この原因は、加工がしやすい設計になっていなかったというところが大きかったと思います。これはもう経験を積むしかないのでしょうがないと思いますが、手作り衛星の代名詞とも言える「安く、早く」を実現するには、設計の段階で自分たちが実行したい機能を実現し、その上で安く、早く作るためには自分を加工する側に置き換えてみて、どうしたら加工しやすくなるか?どうしたら早くできるか?などを考えていることが重要です。CUTEの場合はそこに「軽く」というどこまでも付きまとう嫌な条件があったので更に大変でした。それでも、こちらでは実現しなきゃいけない機能は決まっていて、なおかつ使えるお金も決まってるわけなので、理想的な設計ができるわけでもなく、後は加工業者とバトルですね(笑)

● 分離機構完成の喜びと感慨

USSSの後も打ち上げまでの間に2度の振動試験と無重力での分離試験を行いましたが、それらの試験でも自分の設計ミスなどによりきちんと衛星が分離されないなどいくつか問題が出てきて、そのたびに澤田さんや他の人たちに助けていただきながら、最終的に完成までこぎつけたという感じでした。そのため、分離機構が完成したときは、やっぱり嬉しかったですね。

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振動試験

「初めてのホンモノの設計」が、こんなに責任重大なものであったというのは、よかったのか悪かったのかわかりませんが、分離機構の一連の開発を通じて、一つ感じたことがあります。それは任された仕事に責任を持つということがいかに難しいことかということです。これはよく言われることですが、本当にそのような立場に立たされないと実感できないですね。自分も最初のうちはそれが実感できていなかったために、多くの人に迷惑をかけてしまいました。そのため、少しでもその責任の重みのようなものを「初めてのホンモノの設計」で感じることができたことは今後のためには良かったと思います。

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東工大分離機構完成版

証言:此上一也(このうえ・かずや)
柏に話をすると、その中にやりがいを見つけて、責任を持って引き受けてくれて、こっちが想定していた以上の結果を出してくれることが多々ありました。最初は任せるのが不安だったこともあったのですが、時を重ねるにつれて、頼りがいのある戦力になっていったと思っています。そういうこともあって、分離機構に限らず、ロシア書類作成とか運用シフト編成などなど、自分が手一杯のときに手伝ってくれて、非常に助かったことが多かったです。