正月はイランでプログラミング
語り手:居相政史(いあい・まさふみ)
● イランに留学
2002年4月に、テヘランへ赴きました。
当時、松永研とは別の研究室に所属していたんですが、修士一年生の前期が終わったころ、その研究室の飲み会でイランに留学という話が持ち上がり、半年後に本当に行くことになったのです。
キューブサットでは宇井さんたちといっしょにセンサ系の開発をしていました。行く前までに自分の担当分の仕事は大体終えていましたが、センサ系の一員として心残りのことがありました。それは、精度の悪いセンサを選定してしまったことでした。当初、選定したのはともかくとして、一年後に再検討する機会があったのに、そのときも結局、 精度の悪さには目をつぶってしまいました。精度の悪いセンサを載せても、精度の悪い結果しか出てきません。それなのに、そんな決定を二度にわたってしてしまいました。
● 太陽センサの改良
イランでは、修論のための研究をしていましたが、そのほかに次に衛星を作るとしたらどのようなミッションがよいか、どのような方針で設計すればよいかをいろいろと考えていました。センサの選定に関して反省点を残したままイランに来てしまったこともあり、なぜそのような選定をしてしまったか、次に同様のことをするとしたら何を基準に考えればよいかについても考えていました。
結論として、センサの選定は、測定結果をどのように利用、解析するかについて十分に検討せずに、動作する「もの」を作ることが最大の目標となっていたために、満足できるものとならなかったことに気づきました。また、宇宙で利用するとなると部品が壊れる可能性が無視できないので、たとえば測定値が1.23とでたときに、それが本当に1.23になるべき現象がおきているから得られた値なのか、ただ単にセンサが壊れて1.23という値を出しているのかを区別する手段をもうけることも必要であったと気づいたわけです。つまり、測定値を信用してよいのかどうかの根拠を与える情報も同時に、何らかの形で出力させるようにするべきだということです。いずれも、常識的なことで頭では分かっていたはずなのですが、そういうことはあまり考慮せずに、大きさ、入手性、過去の経験の点で勝っていたセンサを使ってしまいました。
この点に気づいたので、イラン滞在の時点でまだ開発中であったはずの太陽センサについて、改良案を考えて、宇井さんに提案したのです。当初の設計では、画面の中の明るい点(明るさがある閾値以上)を探して、そのx,y座標だけを出力するようにしていました。しかし、これでは、先程述べた「信用してよいかどうかの根拠」がないわけです。
太陽センサは、太陽を撮影して、暗い画面の中に一カ所だけとても明るい部分があるという画像がとれることを期待して処理を行うわけですが、もし、そのとても明るい部分が画面中に多数あるような状況だったら、正常だとはいえません。しかし、x,y座標だけしか知り得ないとしたら、そのような正常でない状態であったとしても、それを正常な場合と区別することができません。そこで、とても明るい点(明るさがある閾値以上の点)の個数を数えて、それがたとえば10以下ならx,yの値を信用する、10を超えていたら信用しないという判断ができますので、これを実装しようと考えました。
また、画像の撮影のタイミングと、OBCが太陽センサからデータを読み出すタイミングは同期しない設計だったので、当初の設計では、撮影からデータ読み出しまでの時間差も不明でした。この時間差は、後々のデータ解析において重要となりますので、追加することにしました。
もともとx,y座標の二つのみだった測定値を、明るい点の個数と時間差とを加えて、4つに増やすという話ですが、太陽センサの配線は入力、出力2本ずつしかなく、単純には情報を伝達する手段が不足していました。開発の初期段階ならば、基板の設計を変更して配線を増やすことで対処できますが、時期が時期ですので、ソフトウェアのみの工夫で乗り切る必要がありました。そこで、x,y座標の精度を落として情報量を減らし、ソフトウェアのみの変更で2本の出力線に4つのデータを流す方法を考案し、実装することにしました。
● イランと日本でプログラミング
自分はイランにいたので、太陽センサを改良しようと提案すればよかったんですが、安易な変更をしたくないOBC担当の中谷さんと、土壇場になって変更を言い出した自分の間で、宇井さんが調整に苦労しているようすが、メールのやりとりからも感じられました。しかし、改良してよいことになったので、二〇〇三年の正月は、テヘランで、プログラムを書きながら迎えました。といっても、イランでは「イラン暦」を使っているので、日本の正月は休日でもなんでもないただの日です。宇井さんも正月返上でいっしょにやってくれました。日本とイランでプログラムを二人でいっしょに作りました。一週間くらい必死でやって、無事に完成しました。
● 延び続けた打ち上げ
イランへ行く前は、2001年のうちに打ち上げということになっていたと思います。つまり、打ち上げてからイランに行くつもりでした。そのうち、打ち上げ予定がイラン滞在中になり、「イランからロシアに応援に行くか」と思っていました。が、気づいたら、延びに延びて、打ち上げはイランからの帰国後になっていました。結局、打ち上げのときは、みんなといっしょに東京の松永研究室にいました。
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