アンテナ最終調整
尾曲 邦之(おまがり・くにゆき)
僕が松永研究室に入ったときには、まだ(というか、今も)キューブサットに最初から関わっていた先輩たちが、6人残っておられました。全員が、とにかくすごい人たちでした。よくも、こんな人たちが集まったなと思うようなところでした。1人や2人、グループに光る人がいるというのは、わりとよくあると思うんですが、ここは、全員がすごかったんです。何がすごいかですか?そうですね。1人1人がみんな、やることを持っていて、やるべきことを知っていて、それでとことんやるんです。衛星の製作は、サブシステムごとに5つくらいの系にわかれてやるんですが、全員が、担当の分野についての知識も経験も完璧と思えるくらいにあって、しかもガッツがあるんです。寝ないでやるのなんて当然という雰囲気がありました。
僕は、通信系に入ったので、岡田さんや此上さんをはじめとする先輩たちにいろいろ教わりながら、やりました。キューブサットのフライトモデルの最終アンテナ調整は、僕がやらせてもらったんです。これは、相当がんばりました。「やらされている」という感じはなかったし、先輩といっしょだからといって、緊張するようなこともありませんでした。
でも、作業自体は緊張の連続でした。アンテナの調整をやっていて、コネクターの端子を一つずつとめていくんですが、これの接触が悪かったら動かないんだよな、と思いながら、作業しました。先輩たちが一生懸命作った衛星も、この端子のとめかたがだめだったら、通信ができなくなって、ミッション自体がうまくいかないということを考えると、身がひきしまりました。
三月だったと思いますが、フライトモデルのアンテナの長さを決めることになったんですが、当時4年生だった僕が決めたんです。長さを少し切っては調整して、測定していって、最適な長さを決めるんです。数日間、研究室でひたすらその作業をやっていました。面倒な作業に思えるかもしれませんが、集中してやると、二日でも三日でも、そればっかりできるものなんです。面倒だとは思わなかったですね。
もっと緊張したのは、小指の爪より小さいくらいの小さな基板に、米粒の4分の1くらいの小さなチップコイルとチップコンデンサーをピンセットで半田付けする作業のときです。無線機の出力が弱いので、ロスをできるだけ少なくするために、こういうことをすることにしたんですが、作業するときには、本当に手が震えました。細かい作業で、手先の器用さが求められるんです。チップは本当に小さくて、落としたら、見えなくなってしまったこともありました。半田付けも、すごく気を使ってやりました。ええ、何回も何回もやり直しました。ある程度できたらここでいい、と思いがちですけど、ここでいいと思わないで、もうちょっとやったらどうなるだろうと思って、妥協しませんでした。衛星って、ちょっとした失敗も取り返しがつかなくなるでしょう?だから、絶対ここでは妥協しないでやりました。いえ、いつも妥協しないわけじゃないですよ。いけそうだと思ったから、というわけでもないですね。そのときは夢中でやっていて、後から考えると、あの時妥協しなかったなという感じです。
で、なんとか一応完成したんですが、全然ホッとしないんですよ。我ながら、安心できないんです。チェックはもちろんするんですけど、800キロメートルという距離で試験をしたことはなかったし、こんなのでちゃんと通信できるんだろうかって、不安でいっぱいでした。もし、通信がうまくいかなかったら、絶対自分のせいだと思っていましたから、打ち上げが終わってからもずっと心配でした。
一番感激したときは、やっぱり、キュートが宇宙から発信した音を聞いたときですね。研究室でみんなで固唾を呑んで待っていたんですが、ロンドンのアマチュア無線家が受信して、その音をホームページで公開してくれたんです。モールス信号で、ちゃんと「CUTE」って言ってるんですよ。あの小さな衛星で、あのアンテナで、本当に820キロも離れた宇宙から通信がそんなにうまくできるなんて、思わなかったです。本当に通信できているんだというのが信じられなかったです。でも、その後、東京上空にキュートがきたときも、ちゃんと受信できて、ああ、やっぱり通信できてるんだと思いました。
松永研にきてよかったと思いますよ。先輩たちがすごいので、こういうふうになりたい、と思います。誰が一番すごいか、ですか?選びようがないです。みんなすごいんです。衛星を作るのは、単調な作業を長時間やらないといけなかったりするんですが、これをやらないと作れないし、大事なことだと思います。自分が作ったものを多くの人に見てほしいし、宇宙で動くものを作るという難しいことをやるのも嬉しいです。いま、キュートIIを検討中ですが、ぜひやりたいですね。
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