プロローグ

ゆうべから、ずっと東大中須賀研究室の皆さんやメディアの方々といっしょに、キューブサットの打ち上げのその場におりまして、興奮さめやらぬ筆者でございます。いえいえ、ロシアにいたわけではありません。ロシアでは、東大・東工大の学生二名ずつが管制室に詰めて、刻々と変わる状況を知らせてくれていました。

とりあえず、時系列で、何が起こったのかをお知らせしましょう。

6月30日の夜から、続々とキューブサット製作に関わったOBたちが到着。さながら、同窓会の趣です。マスコミ関係者も到着。夜10時半から、ネクタイを締め、白いニットのベストで決めた酒匂氏(ジーン・クランツを意識しているというウワサあり)が、ミーティングを仕切ります。

11時半の打ち上げ時刻には、みなが固唾を呑んで、ロシアからの情報に耳をすまします。といっても、正確にいうと、ロシアの管制室にいる学生たちから、次々と状況が知らされてくるのを、読み上げているのを聞いていた、という感じです。

打ち上げ成功で拍手。しかし、この時点では、まだ成功かどうかは不明です。というのは、その後、衛星は、ロケットから分離されて、目指す軌道に投入されて、それから、やっとミッション(衛星に与えられたお仕事)をすることができるからです。

24時47分にサイとキュートの分離が行われましたが、東大のサイと東工大のキュートからの信号をキャッチできるまでは、それが本当に分離できたどうかはわからないので、まだ気は許せません。

4時半に最初のパス(日本上空の近くを衛星が通ることで、そのときに電波受信ができるそうです)がくる、とのことでしたが、世界中に散らばるアマチュア無線家のネットワークはさすがで、AMSATのメーリングリストに、ロンドン在住の方が東工大からの信号をキャッチしたというメールが入りました。東大のほうでこれを見つけて、東工大に電話。東工大が大喜びの中、東大のメンバーは心配顔でした。今度は、東工大のほうで、東大の信号をキャッチしたというメールをみつけたと知らせてくれました。色めきたつ東大メンバー。競争と協調のすばらしいコンビネーション、というと、誉めすぎでしょうか。

でも、ハイライトは、やっぱり、自分の耳で宇宙からの音を聞いたときのことでしょう。午前4時20分、全員が部屋に集まり、パスを待ちます。期待と心配の入り混じった顔、顔、顔。酒匂さんは、司令塔席で、ややうつむいて、その「とき」を待っていました。りゃんさんが電話を受けて、「菅平でとれたそうです」と叫びました。 「おおーっ」菅平の地上局には、小田さんを初め、数人が詰めていました。 りゃんさんが実況中継をしてくれます。 「小田がヘッドホンをかぶっているので、他の人は誰も聞こえないそうです」 でも、すぐに、電話からかなりはっきりとしたビーコンが聞こえました。 そして、東大の部屋にザザーッという音がしたかと思ったら、聞こえ始めました。ピピーピピピー、あるいはツツーツツツツー、あるいは、ティティーティティティー、なんと表現してよいかわかりませんが、だんだん音がクリアになっていきます。 「おおおー」という歓喜の声と笑顔があふれます。拍手の嵐が起こります。 「おー、聞こえるんだねー、すごーい」という声、「おまえが作ったんだろう」と返す声。 「東工大も聞こえているそうです」という声に、喜びも倍増です。 地形の関係で、菅平が先に聞こえなくなって、東京でも、だんだん音が小さくなっていって、十五分のパスが終わりました。

夜がすっかり明けて、明るくなっていました。 OBの差し入れのビールにおにぎりで乾杯です。 同じロケットで同時にあがった他の衛星の通信成功を知らせるメールがどんどん飛び込んできます。祝福の嵐。おめでとう!Congratulations!

6時半のパスのときには、FMアップリンクにも成功して、地上でコマンドを打ったら、そのとおりに衛星がデータを送ってきました。このときも、「おおーっ」の大合唱と拍手の嵐。

4年の苦労が、一気に吹き飛ぶ瞬間のようです。「これからの運用が重要だ」「ちゃんとデコードできるかどうかが問題だ」と言いつつ、ついつい笑みが漏れてしまう中須賀先生。たぶん、東工大の松永先生も、同じではないかと思います。この4年間、必死にチームをひっぱり、外の嵐と戦い、大変だったことでしょう。本当にお疲れ様でした。

でも、この一体感、緊迫感、達成感、充実感、連帯感は、得がたいものです。今日、この場にいた人にとって、一生の思い出になるものではないでしょうか。この感じを一度味わうと、はまるのだろうと思います。数年の苦労の積み重ねが、一瞬に凝縮されて、結果がはっきりと出る。まさに、UNI(一)−SEC(秒)です。