キューブサットプロジェクトの始まり
語り手:ヤマゲン(山元 透 やまもと・とおる)

● ハワイで

「キューブサット」という名前を初めて聞いたのは、ハワイで行われたUSSS1999(大学宇宙システムシンポジウム)という会議のときのことです。日米の宇宙工学を学ぶ学生が集まって、新しいプロジェクトをたちあげるための技術交流などをする場でした。東大からは、当時修士一年だった僕と永島、池田が参加しました。カンサットの成果を発表することになっていたんです。カンサットプロジェクトは、その前の年、津田さん・酒匂さんたちの代が行ったときに提案されたもので、津田さんたちより一年下の僕たちも、開発チームに入って、夏休み返上・睡眠時間返上で、空き缶サイズ衛星を作りました。ネバダ州の砂漠で打ち上げ実証実験をやったのが9月だったので、まだ、興奮が残っていた時期にハワイへ行きました。一年に二度も海外へ行けてラッキーでした。

usss
USSSの様子(Photograph by Kyushu University)

concept 話を戻しますが、そのシンポジウムでは、テーマごとに小部屋に分かれてディスカッションすることになっていました。僕は、カンサットのネクストプロジェクトというセッションに参加しました。これは別に選んでいったわけじゃなくて、偶然でした。このテーブルにいた大学は、日本6大学、アメリカ3大学でした。

その場で、トィッグス先生を中心に、とにかく「新しいプロジェクトを始めます」ということでディスカッションをやったわけです。そのテーブルでは新聞紙大の大きな紙をホワイトボード代わりに使ってまして(筆者注:フリップチャートと呼ばれる、白い紙をめくって次々と書いていけるファシリテート用品)、そこにトィッグス先生が描いた立方体が、キューブサットコンセプトの始まりということになります。

最初は、CubeSatじゃなくてS3-SATという名前でした。ディスカッションの最初の作業はプロジェクトの名前を決めることで、慣れない英語でごちゃごちゃ喋っているうちにStudent Space Study Satelliteの略ということでS3-SATになりました。実はけっこう長い間、この名前で通っていたのですが、イケてないということだったのでしょう、トィッグス先生の方から、ある日 CubeSatにしようというメールがきました。確かにこっちのほうがいいですね。

ともあれ、この絵を見たときが、我々の中に10cm立方体の小型衛星というコンセプトが発生した瞬間で、これがすべてのはじまりですね。トィッグス先生が立方体の絵をさらっと描いて、こんな衛星を作ろうや、と言いました。そして、「一年後に、エンジニアリングモデルをつくって、二年後にはハワイから運用しよう!」というような勇ましいスローガンもトィッグス先生からは出ていました。

concept 僕は、トィッグス先生を尊敬していますが、「ほら吹きのオッサン」というイメージもありますので、ああ、このハイテンションのオッサンは相変わらず大きく出るなあ、というような感想(失礼)を持ちました。でも、最初に話をブチ上げる人というのは、こういう後先考えずにホラ話を自信たっぷりに発言のできる人で、それはやはり「大物」なのかもしれません。

それから、マネジメントをどうするとか、消費電力や開発・打ち上げのコストなどについて、議論しました。発生電力が5Wだとか、通信系の送信出力が0.5Wだとか、ローンチコストが2万5千ドルで、製作費が1万ドルとか、具体的な数字が出てきていました。

でも、これはとにかく「宇宙用」の衛星を作る話ですので、非常にやる気が出ました。CanSatとCubeSatの一番の違いは、宇宙に行くかどうかということです。CanSatは、最初は本当に宇宙に打ち上げる衛星でしたが、その後にアマチュアロケットによる高度3〜4[km]の打ち上げにシフトしました。CanSatは「人工衛星を作る技術の習得」という明確な目的を持ったプロジェクトでしたので、トーンダウンしたとは思いませんでしたが、やはり宇宙にいかなければ「衛星」ではない、という思いは強くありました。そういう意味で、ああ、次はホンモノの衛星をやれるんだ!という喜びがありました。今度こそ、「衛星のオモチャ」(学内には、そういうふうに言う人もいました)ではなく、ホンモノを作るのだと。

最初のCanSatをやった太田さんが研究室を去る挨拶で言った言葉、「CanSatをやってみて、やっぱり、宇宙は途方もなく遠く感じた」を、僕はとても良く覚えています。宇宙に本当に行くものを作るということは、CanSatからはやはり途方もなく遠い目標に感じました。

ディスカッションの最後に、スケジュールが紹介されました。"Set up Webpage & E-mail links"というのが最初にあって、12月1日が期限になっていました。ですから、帰国後には、最初にこの作業をやりました。

そして、来年(2000年)のUSSSまでに、エンジニアリングモデルを完成させ、ハワイに持っていってデモンストレーションをすることが、宇宙に本当に打ち上げるための大きなマイルストーンになりました。打ち上げ機会を得るためには、「我々はこのとおり衛星を作れるんだ!」ということを示さねばなりません。2000年のUSSSでのデモは、そのためのチャンスで、そこでできるということを示せなかったら打ち上げ機会を得ることはできないだろうと思いました。だから、とにかくハワイに実機を完成させて持ち込むことが最低のハードルだと思っていました。