初代プロマネ誕生
語り手:ヤマゲン(山元 透 やまもと・とおる)

● 一年後にEM

二年後にハワイで運用という話はともかく、一年後にEM(エンジニアリングモデル)を作って持ち寄ろうという話は、かなり現実的だったので、「一年後のハワイ会議にキューブサットのEMを持っていくことに決まった」と帰国後の報告会で、報告しました。カンサットの経験もあるので、みんな、やる気満々だったと思います。結局、EMまではとても無理だったので、BBMになりましたが。

どういうふうに取りかかったかですか?確か、人割り、つまり組織作りから始めたと思います。通信系とか電子系、電源系とかいうふうにグループを分けて、一人最低二つの系に所属するようにすれば、ぎりぎりで人数が足りそうでした。僕がプロマネをやることになりました。ウチの研究室は制御が専門で、構造には無頓着なところがあり、初代カンサットのときは、缶に必要なものを無理やり詰め込んだようなところがありました。東工大の缶は、ちゃんとネジ止めなどしてあり、すごく立派だったので、こちらも構造にも注意を払わないといけない、ということで、「構造系」も設けました。それから、宇宙へ行くので、「環境系」も作りました。宇宙環境でちゃんと動作するような衛星を作るためのものでした。それぞれにリーダーをおいて、検討をはじめるということになりました。構造も、イトコンがファミカセ方式を提案してくれて、それでいこうということになりました。

証言:イトコン(伊藤 孝浩 いとう・たかひろ)
キューブサットの外見は、立方体ということでわかりやすいんですが、中身をどうやって作るかということについては、決まっていませんでした。あるとき、ファミコンを見ていて、ふと思いつきました。こんなふうに、マザーボードを作って、そこに基板をいろいろさしこんでいくというやり方でやったらうまくいくんじゃないかって。ファミカセ方式は、けっこう好評でした。

● キューブサットのミッション

設計・製作の前に、ミッションを決めないといけませんでした。「ミッション」というのは、目的とか使命という意味ですが、宇宙の分野でミッションというのは、要するに、「その衛星にさせる仕事」です。その衛星は何のために宇宙へ行くのか、宇宙へ行って何をするのか、ということです。それによって設計が全く違ってきますから、最初にミッションを決めないと、作りようがないのです。

10センチメートル立法で重さが一キログラムの衛星。そんな衛星のミッションを何にするか、みんなで議論しました。堅実派と派手派に分かれて、けっこうやりあったんですよ。着実な線をしっかりやろうという堅実派は、太田さんとか池田で、派手派は酒匂さんとか津田さんとか。永島さんは、とにかく作れればいいって感じで、ミッションに関しては中立的でしたね。でも、「サバイバル」しないと何もできないというところでは、全員が一致していたので、この衛星は、「生き続けられる」ことをメインミッションにしようということになりました。名前もけっこう真面目に話し合って「XI(サイ)」に決定しました。コードネームですけど、それでも呼び名が必要ですからね。

証言:有川 善久(ありかわ・よしひさ)
サイって名前は、さいころのサイからつけました。僕が最初につけたときはそうだったんです。でも、だんだん、かっこいい名前に進化しました。確か、英語名も必要だっていうんでXAIだろうってつけたら、誰かが辞書を調べて、それなら綴りはXIだってことになったんです。それで、後でXI(X Factor Investigator)と、通には受けそうな名前にしましたが、もともとの命名は単純でした。あ、そうそう、Extra terrestrial Investigator という案もあったんですよ。カメラを積んでいれば、宇宙人でも写せるかも、なんて冗談も言ってました。 しかし、この名前をちゃんと読める人は少なくて、学会発表でも、XIを「じゅういち」とか「エックスアイ」とか読まれることなどがあって、難儀しました。しかも、5号機まで作ったので、XI-IIIとかXI-IXとか、一般の皆様には大変わかりにくい名前になってしまいました。

最初は、膜展開衛星も考えました。当時四年生だった有川たちが、卒業設計で膜展開衛星をテーマに選んでいたので、いろいろ検討したりもしました。でも、2000年末にロシアで打ち上げという話だったので、一年しか開発期間がなく、それなら膜展開は到底無理だということになりました。打ち上げはそれから何度も何度も延期になるんですが、そのときはそういう話だったんです。それで、まずは、人工衛星として基本的な機能を実証する衛星を作ろうということになりました。

証言:匿名希望
ロシアのコスモトラスという会社のロケット、デュネパを使って2000年の終わりに打ち上げられそうだという話が出てきました。アメリカのOSSSという会社が全部アレンジしてくれるそうで、こちらはモノを作って、お金さえ払えばよいという話でした。キューブサットを作っている大学はたくさんあるので、それらを集めて打ち上げようという計画でした。日本と違って、アメリカの場合は、ロシアへの衛星の「輸出」手続きが大変なんだそうです。OSSSは、そういった厄介な手続きをすべて一箇所でやってしまおうというワンストップサービスの会社だったと聞いています。でも、ちょっと変でした。だって、OSSSと契約しているのに、技術的なことは、カルポリ(Cal Poly=California Polytechnic State University)とやってくれと言われていて、インターフェイスのことなど、結局、どこに聞いてもわからないということがよくありました。

最終的には、カメラを搭載することになるんですが、これは、津田さんが、カメラにすごくこだわっておられて、この開発期間では無理だという大方の意見を押し切り、自分でカメラをさがして周辺回路を作って、これでできるということを証明したので、そうなりました。技術的なことって、できることを実際に示せば反対意見がなくなるものなんです。

● ツンツン戦術

「BBMを作って、2000年11月のUSSSに持っていく」というはっきりとしたゴールがあったので、できたのだと思います。でも、スケジューリングは、最初のほうは失敗でした。カンサットの製作とまったく並列に走ってしまったのはまずかったと思います。一人が2つの系に所属するというのをカンサットとキューブサットの両方でやっていたので、一人の人が4つの系のミーティングに出ないといけなくなってしまったんです。ミーティングだらけで、資料作りに追われて、ものづくりの作業がなかなかできないような本末転倒の状況になってしまいました。

キューブサットのほうは、けっこう順調に進みました。ちょっとしたコツがあるんですよ。線表(せんぴょう)に書いたスケジュールの締め切りがあるでしょう?その締め切りに間に合う程度の直前に、そこの系のリーダーをツンツンとつつくんです。そしたら、大慌てでやってくれるんですよ。僕がやったのは、その「ツンツン戦術」で、けっこうスケジュール通りに行きました。それで、6月くらいまで、キューブサット優先で走ってしまいました。でも、カンサットの準備が滞ってしまって、これはまずいということになり、カンサット中心でいこうということになりました。