幻の打上げ
語り手:津田 雄一 (つだ ゆういち)

● 幻の打上げ その1

僕らがOSSSに払った3万ドルはどこかに消えて、OSSSはコスモトラス社と契約もしていないということがわかって、予定した打上げがなくなりました。それまでにも、何度か変更や延期はありましたが、今回はそうではなく、根本からなくなったわけで、少なからぬ衝撃でした。それから、いろいろなルートで打ち上げ手段を探しました。

アストロリサーチは、ロシアに伝手があるらしく、いろいろ探してくれていましたが、キューブサットのような小さな衛星を載せてくれるロケットがまず少ないので、なかなか見つかりませんでした。日本にもロケットはあるのですが、大学衛星には、チャンスがめったにめぐってこないのです。

● 幻の打上げ その2 

そうこうしているうちに、イギリスのサレー大学のスィーティング教授より、2002年11月に打ち上げるコスモスというロケットへの打上げに便乗できるかもしれないという話が舞い込んで来ました。秋にロシアでサレーの衛星を打上げる予定があり、そのロケットに東大と東工大のキューブサットを載せることも可能かもしれなという話でした。UNISECの川島さんが個人的な伝手で交渉してくれました。686キロメートルの太陽同期軌道で、コストは一衛星あたり5万ドル、衛星だけを持ってくれば、分離機構は向こうで準備してくれるということでした。でも、急なオファーだったので時間的に厳しいのと、コストが高いのと、分離機構の信頼性に不安があったことなどで、結局これは見送りになりました。

このとき、本当にお金がなかったみたいでした。OSSSに払ったお金も、必死でかき集めたお金だったのに、それは戻ってこないにも関わらず、再び打上げ費用を作らないといけないという状況だったのです。僕らは学生の立場だったので、「ひどい」と言っていればよかったんですが、先生は本当に大変だったと思います。

● 幻の打上げ その3

指をくわえてみているうちに、今度は、トィッグス先生から、12月に打ち上げるデュネパに相乗りできるかもしれないという話が来ました。カルポリでは、キューブサットを三個同時に打ち上げられるようなP-PODという分離機構を作っていて、三個のうちの一個分があいているから、よかったら、という申し出でした。打上げ費もほとんどいらないということでした。これは、スタンフォード大が通信系を提供したトランスオービタル社というアメリカの会社が衛星を打ち上げる際に、ほぼ無料で相乗りを提供するオファーをスタンフォードにしたのだそうです。僕らはもちろん、飛びつきました。もう、どんな手段でもいいから、とにかく打ち上げたかったんです。話は、とんとん拍子に進みました。

10月1日に、16日に出発と決まりました。アメリカで、3つのキューブサットをP-PODに入れてから、振動試験や熱真空試験を行い、そのままロシアへ輸送して12月には打上げ、というスケジュールになっていました。僕は、その年、ヒューストンで行われるIAFという学会に行く予定にしていたんですが、キューブサットのほうが大事ですから、そちらはキャンセルして、カリフォルニアに行く予定に変更しました。ところが、7日に、スタンフォード大の都合で、10月末に延期してくれといってきました。ちょっといやな予感がしはじめていました。僕は、11月にはもう博士論文に集中しないといけない時期だったので、行くのをやめることにしました。

でも、8日には最終組み立てを終了し、9日と10日には各系ごとに念入りなチェックを行い、14日から17日まで最終シーケンスの確認をしました。そして、19日には、こちらでできるすべての作業を終了しました。梱包してしまうと、出すのが大変なので、その前に全員で記念撮影したりして、名残を惜しみました。

チェックのようす
最終チェック

記念撮影
記念撮影

10月29日に、船瀬と永島が、キューブサットをカリフォルニアまで運んで、向こうで準備と調整をして、それからロシアへ、という段取りでした。二人は、意気揚揚と出発しました。カルポリの学生が、片道三時間もかかるのに、空港まで迎えにきてくれて、向こうからは、弾んだ声が届いていました。ところが、そのわずか二日後に、運命は暗転しました。トランスオービタル社の衛星の準備が間に合わなかったのが原因でした。ロシア側は、これ以上打上げ延期は待てないと言ったため、ピギーバック打上げはキャンセルされてしまいました。親衛星があがらないのに、ピギーバックだけ載せてくれるはずはないですよね。

XI-IV出発
CubeSat XI-IV出発

僕らは、キューブサット完成から1年近くの間、希望をもっては打ち砕かれ、という繰り返しを続けていました。もちろん、その間にもキューブサットの試験をしたり、性能向上のための工夫をしたり、いろいろしていました。そして、ダメになるたびに、もちろん、がっかりはするんですが、それでもダメだと思ったことはありませんでした。少なくとも僕は、必ず打ち上げるんだと思っていました。