打上げ決定
語り手:津田 雄一 (つだ ゆういち)

● 打上げロケット見つかる

アストロリサーチが、いろいろ探してくれていた中で、2003年の6月末に打上げるロケットに、小さな衛星を載せてもらえそうだという情報が入ってきたのは、かなり早い段階でした。9月くらいに情報をもらって、それから直接、ユーロコット社とメールや電話でやりとりをしました。ほとんど、先生がやってくださっていたと思います。10月11日にユーロコット社あてに、「レター・オブ・インテント」という手紙を送って、交渉がスタートしました。

打上げができそうだといわれても、もう何度も期待しては落胆しているので、ぬか喜びはしないようにしていました。僕は、2003年の3月に卒業する予定でしたから、先生は、何とか僕が在学中に打ちあがるように、がんばってくれたんですが、それは無理でした。でも、2003年の第二四半期には打上げ可能だということで、決して悪くありませんでした。もちろん、自分が作った衛星ですから、打上げまでやりぬけたら幸せですが、そうでないからといって不幸だというわけではないですからね。

● ロシアでPDR

それから、インターフェイスのことやら分離機構のことやら、さまざまな細部の詰めを行って、打上げは可能だから、12月に、モスクワで行われるロケットPDRに出席するように連絡がきました。これは、学生でなくて教官が行ったほうがいいだろうということになり、中須賀先生と松永先生がロシアへ行くことになっていました。

ところが、実際に言ったのは、中須賀先生一人でした。松永先生は、旅行社にビザをとってもらっていたんですが、旅行社のほうでビザの日にちを間違えたらしく、成田空港で「このビザではあなたは行けません」といわれて、しかたなく戻ってきたそうです。

  証言:中須賀 真一(なかすか・しんいち)
朝、ホテルの会議室にいったら、「ハーイ」といわれて、面食らいました。トロント大学の旧知の先生が来ていて、びっくりしました。でも、緊張がそこでとけて、いい雰囲気ではじめることができました。3日間、缶詰になって、インターフェイス調整や、打上げ直前の準備作業のロジスティクスや、通信系の話とか、インターネット回線の値段とか、事務的なことから技術的なことまで、いろいろ話し合いました。打上げまでのプロセスとか、打上げまでにどんな資料を用意しなければいけないかとか。セキュリティの話もありましたね。
資料が一部ロシア語だったので、まいりましたが、説明してくれるのを聞いて、こういうことかと推測したりしました。こちらもたくさん質問を用意していっていたし、向こうも、こちらがどんな衛星をあげるのか知りたいしで、3日間、技術的に不明確なところを明確にしていくという感じでした。
雰囲気ですか?混沌とした感じでした。前で誰かがプレゼンをしていても、別のところで突然議論が始まったりするんです。ものすごく緊張して乗り込んだんですが、意外に楽しかったですね。こうやってやるんだというのがわかったのが大きな収穫でした。