T-PODの誕生
語り手:永井 将貴(ながい・まさき)   

●突然の大役

突然、僕は、分離機構の製作リーダーとして、T-PODの製作マネジメントを経験することになりました。もともと、分離機構はカルポリが作ることになっていました。ですが、打上げロケットが変更になるなど、いろいろあって、東大と東工大はそれぞれ自前で作らないといけないかもしれないということになって、検討を始めました。

当初、中須賀先生に、「T-PODは使わないかも知れないけど、使うかもしれないから、とりあえず作ってね」といわれました。打上げロケットのことはごたごたしていて、本当にEUROCKOTのロケットで打ち上げるかどうかはわからなかったので、しょうがないのですが、「使わないかもしれないものを作る」リーダーというのは、なんだか変な感じでした。正直に言うと、戸惑いの気持ちがかなりありました。

僕がリーダーになったのは、構造系にいたからだったと思います。構造系に入ったのは、宮村さん、イトコンさん、小笠原さんが卒業されて、後に誰もいなくなるので、誰かが必要だったということだったと思いますが、そのときは、それほど深く考えませんでした。「永井、リーダーをやってくれ」といわれて、津田さんに連れられて、先生の部屋へ行って、「はい、やります」と言ったような記憶があります。酒匂さんが、僕の肩をたたいて、「がんばってね」と言ってくれたのも驚きでした。酒匂さんは、いつもとても厳しくて、このような言葉をかけてもらったのは、初めてのことだったのです。

リーダーで大変だったのは、仕事の割り振りです。一人でやるわけではないので、皆さんに仕事を割り振るのが仕事のひとつなんですが、これはけっこう苦労しました。僕を含めた数人が、10月に行われる衛星設計コンテストに出ることになっていまして、その準備もかなり大変なんです。コンテストのメンバーの負担を軽くしようと思って、それ以外の人にたくさん仕事をふったら、「コンテストは、好きで勝手に出るんだから、その分をこっちに押し付けるのはおかしい」と猛反撃を食らってしまいました。

●P-POD と T-POD

衛星をロケットに載せるときには、コインロッカーにいれるみたいにポンといれればいいわけじゃなくて、分離機構を作って、ロケットの中ではそれにくっついて固定させておいて、宇宙に飛び出すときに、そこからうまい具合に出るような仕組みを作っておく必要があります。当初の計画では、P-PODという分離機構をアメリカの大学が作ってくれることになっていました。このP-PODというのは、長細い箱形のもので、三つのキューブサットをいれて、順番に出てくるようになっています。

T-PODは、P-PODの原理をそのまま使いました。とはいっても、P-POD自体、成功の実証がなされたものではありませんでしたし、開発としては一からやらざるを得ませんでした。

● 東大阪の試作品

そのころ、東大阪の中小企業が人工衛星を作ろうとしている話があったんですが、全く経験がないということだったので、キューブサットの構造部分とT-PODを作ってもらってはどうかと、中須賀先生から話がありました。キューブサットの設計図はこちらで作ったものをお渡しして、それを試作してもらうという形で、T-PODのほうは、P-PODの設計図を参考としてお渡しして、こちらの要望を伝えて、作ってもらうという形で進めることになりました。

できあがってきたT-PODは、P-PODそっくりで、キューブサット三機用が一機用に変更されていました。細かい仕様ではいろいろと問題があったので、東大に引き渡されてからは色々と改造しました。

値段ですか?「本当は200万円くらいほしいけど、20万でいいよ」ということになりました。最初はタダでいいって話だったんですけどね。材料は、アルミです。値段と加工の問題から、宇宙でよく使われるアルミ合金は使いませんでした。

T-PODは、結局、BBMレベルのものを、本番でも使うことになりました。もちろん、その最初にできてきた試作品をそのまま使ったわけではなくて、部品などは新しいものに変えました。僕が、東大阪へ行って、直接工場の人と話し合って、細かい点まで詰めました。たとえば、蝶番が二個ではうまく開かないことがわかり、一個に変更するなど、たくさん工夫しました。

●バスタブカーブ

先生からよく言われていたのは、バスタブカーブってことでした。バスタブの形をしたグラフを想像してみてください。縦軸が、「失敗のリスク」、横軸が「試験回数」です。試験回数が少ないうちは、失敗のリスクも大きくて、だんだん減っていきますが、試験をやりすぎると、モノが疲弊してしまって、またリスクがあがるんです。大事なものだから、何度も試験して、大丈夫だということを確かめたくなるんですけど、モノは、試験の前後で変わってしまうから、試験は、最も適切な回数しかしてはいけないということになります。

T-PODの場合、試験回数が適切だったかどうか、よくわかりません。でも、もう一つ新しいT-PODを作るということはしませんでした。T-PODは、けっこう精密なもので、うまくいっているものを使うほうがよいのではないかと考えたんです。でも、実は、僕らが手でさわっているので、さびもでていたりして、心配は心配でした。

でも、この心配は、それほど差し迫ったものではありませんでした。打上げの直前に、心配を通り越すようなことが起こってしまうのでした。