衛星搭載とウオッカ撃沈
語り手:船瀬 龍(ふなせ・りゅう)

● プレセツクにて

6月12日にプレセツクに着いて、バスでホテルに直行しました。ちょっと大きめのアパートという感じの建物でしたが、中はきれいで、一人部屋だったので快適でした。すぐに衛星のチェックをしたほうがいいというので、僕と永島さんが作業場に向かうことになりました。五分くらいで昼飯をかっこんで、東工大の中谷さんと澤田さんといっしょに、ホテルの車で行きました。かなりのスピードで走ったせいか、車が飛び跳ねて、舌をかみそうでした。みんなひざの上に衛星と分離機構のケースを抱えて、大事な衛星を必死で守り、なるべくショックを吸収しようとしていました。

作業場は、二階建ての建物で、一階が作業場で二階に待機室みたいなのがありました。このドアに、キュートとサイのステッカーをはってきました。それはよかったんですが、さあ、衛星を出そうとしたときのことです。ケースの鍵がないんです。先発隊の連中が鍵をもったままで、鍵をもらってくるのを忘れていました。すぐにホテルに電話したんですが、誰もいなくて、どうしようと思っていたら、事情を察したロシア人のスタッフが来てくれて、いろいろ手を貸してくれました。ええ、こじあけようとしたんです。最後は、プロマネのヨークさんが、ペンチであけてくれて、事なきを得ました。僕は、心の奥底では「なんとかなるさ」と思っていたものの、冷や汗ものでした。

その日は、分離機構のネジの位置を確認し、衛星をおおう金属板のサイズがあっているかどうか、チェックしました。ちょっとサイズがあわなかったのですが、翌日にはちゃんと削って調整してありました。動作確認を二日くらいかけてやりました。ちゃんと動いてくれてほっとしました。

● ロシア流宇宙開発

ロシアはさすがに、米ソ宇宙レースを駆け抜けてきた国だけあって、宇宙開発では見るべきところがたくさんありました。何百もロケットをあげていると、どこに気を使い、どこはアバウトでいいのか、経験的にわかってくるんでしょうか。成功率の高さからいうと、彼らのやり方で間違いはないんだと思うんですが、驚くことが多かったです。クリーンルームで作業をしたんですが、誰もマスクも手袋もしていないし、土足で入ってきたりするんですよ。僕らは、日本から持ち込んだクリーンルーム作業着をきっちり着込み、衛星をさわるときには必ず手袋をはめていました。

 
 
16日にいよいよ衛星に搭載することになりました。永島さんが衛星の充電を終えて、いよいよロケットに据え付けです。これで、キューブサットを見るのはもう最後ですから、記念写真をとりました。サイとキュートを机の上に並べて、東大東工大の全員がそれを囲む形で写真におさまりました。これで見納めかと思うと、少しさびしい気もしましたが、僕としては、その後うまくいくかどうかのほうが気になっていました。

その後、僕らはロシア流宇宙開発を間近に見せてもらうことになりました。驚くことがたくさんありました。分離機構とロケットは、太いボルトで締めるので、それほど問題はなかったんですが、ロケットに分離信号を送るケーブルのコネクターとロケット側のコネクターを結合する作業のときには、本当にはらはらさせられました。1ミリくらいの小さなボルトとナットでコネクターを結ぶんですが、そのロシア人のおじさんは、老眼みたいで、よく見えないみたいで、そのうえ、手がぶるぶる震えていて、何度も何度もボルトを床に落とすんです。もちろん、手袋なんか、していませんでした。ボルトを落としては拾ってという繰り返しを30分くらいやって、やっとのことでボルトとナットを締めることができました。自分がやったら、3分以内でできたと思います。ちょっとショックでしたね。 

それから、その後はおばあちゃんが登場して、のんびり縫い物をはじめたのにもびっくりしました。ロケット打ち上げから衛星分離までの間に分離回路の温度が下がり過ぎないように、分離機構の外側の金属板に布をかけておくんですが、金属板と布を固定する必要がありますよね。金属板に穴があけてあって、そこを固定していくわけなんですが、おばあちゃんが針をなめなめ、チクチクと縫っていくんですよ。近代科学の粋を集めた衛星のロケット搭載は、おばあちゃんの針仕事で終了しました。いやー、なんというか、のどかというか、合理的というか。それでちゃんとうまくいくんだから、問題ないというのはわかっているんですが・・・。

● ウオッカで撃沈

衛星搭載という今回のロシア遠征の最大のミッションが終了して、ほっとしました。もちろん、まだこれからが本番なので、不安もありました。特に、僕は分離機構の回路設計を担当したので、衛星分離がうまくいかなかったら、僕のせいだと思っていましたから、ものすごいプレッシャーでした。

17日の朝、射場を見せてくれるというので、見学に行きました。大きいなあというのと、ロケットがシンプルだなあというのが、印象でした。作業は終了したので、少しリラックスした気分でした。その日の夜、ユーロコット社主催で、パーティを開いてくれました。夕方、ちょっと寝ていて、ほんの少し遅れていったんです。それが運命の分かれ目で、席が一つしかあいていなくて、ロシアの軍関係者ばかりがすわっているあたりだったんです。誰かがスピーチするたびに、ウオッカで乾杯する習慣があるみたいで、みんなぐいっと飲み干すんですよ。僕も律儀に全部飲んでいました。最初は「うっ、強い」と思ったんですが、途中からおいしくなって、どんどん飲んでました。その後、僕は記憶喪失にかかったみたいで、気がついたら朝で、袖が汚れていて、胸のあたりがムカムカしました。打上げ管制室を見に行く予定だったんですが、とても行ける状態ではなく、部屋で寝ていました。僕の人生で二回目の「ウオッカ撃沈」でした。これさえなければ、ロシア遠征は最高でしたが、これがあっても、ロシアへ行って衛星搭載の作業に携わることができたのは、本当に幸運でした。

  証言:タケイ(武井 エルネス 利之 Ernesto Toshiyuki Takei)
船瀬さんは、ロシア人の間にすわって、すごく幸せそうに飲んでいました。僕も飲んでいましたが、これはちょっと危ないと思って、途中からウオッカの空き瓶にペットボトルの水を入れて、ウオッカを飲んでいるふりをして水を飲んでいました。船瀬さんにも、水入りのウオッカ瓶を渡したんですが、「これは水だー、ウオッカじゃなーい」と言って、ウオッカを飲みつづけていました。船瀬さんの顔がゆがんできたので、これはもうだめだと思って、肩を支えて、部屋に連れていきました。そこまでは何とか歩いていたんですが、部屋ではもう全然だめでした。最初、永井さんも手伝ってくれていたんですが、途中で僕一人になってしまいました。でも、具合が悪そうなので、ほっておけないですから、ベッドからトイレに3回くらいかついでいきました。しばらくしたら、寝てしまったので、僕も自分の部屋に戻りました。先生が心配してその後に様子を見にきたときには、船瀬さんはニコニコして寝ていたそうです。