モスクワでぶち切れ
語り手:りゃん(程 毓梁 Cheng Yuliang)

プレセツクで無事に衛星搭載作業を終えて、打ち上げまで作業がないので、みんな帰国することになりました。でも、税関で検査を受ける必要がある荷物を受け取るため、僕とケンジ、東工大の中谷さんと澤田さんの4人だけがモスクワに残っていました。荷物ですか?電子機器類とか、持って入るときに申告して、出国するときにちゃんと持って帰りますよということを示さないといけないものがあるんですよ。それで、その荷物を検査してもらって出てくるのを待っているだけで、特にすることもないので、モスクワ見学を楽しませていただきました。ハイ。しばらくモスクワは行かなくてもいいくらい堪能しました。  

順調だったモスクワ滞在の最終日にとんでもないことが起こりました。
モスクワでは、クリニチェフっていう会社が、僕らの世話をしてくれていたんです。クリニチェフは、 ロケット製造のロシアメーカーで、ドイツのアストリウム(今はフランス)と合弁でユーロコットという会社を作ったんだそうです。 僕らの衛星はユーロコット社のロケットで打ち上げることになっていたので、すべてアレンジしてくれることになっていたから、 僕らとしては、安心しきっていました。荷物をホテルに届けるのも、空港までの車を手配するのもやってくれることになっていました。 で、空港へ行くとき、コバレンコさんが、ホテルに迎えに来てくれることになっていました。 コバレンコさんは、50歳くらいの男の人で、それまでは、いろいろ親切にしてくれていました。僕らは、昼ごはんをホテルで食べて、身支度をして、これっぽっちも心配しないで、ロビーへおりていきました。そしたら、フロントの人が、電話が来てましたって、メモを渡してくれたんです。それを読んで、僕は瞬時に切れました。ぶち切れなんてもんじゃないです。ごく切れです。(筆者注:りゃん氏は、造語能力に長けている)だって、「コバレンコは来ない、バスは用意しない、荷物は出てこない」って書いてあったんですよ。

すぐに、ホテルのフロントからクリニチェフに電話してもらったんですが、コバレンコさんは不在だって言うんです。携帯もつながらなかったんです。フロントの人が、「ブロークト」っていってました。ケンジが「ブロークンだろう」ってぶつぶつ言ってましたけど、それどころじゃないです。不在だなんて、絶対ウソだと思って、フロントで紙をもらって、「抗議文」を書き始めました。もし、誰もこなかったら、それを置いて、タクシーで空港まで行くつもりでした。内容ですか?荷物のためだけにわざわざ滞在していたのに、荷物が出てこないってどうしてくれるんだ、全部、そっちの責任だから、ホテル代を弁償しろ、というようなことです。今考えると、相当にきつい書き方だったと思います。

ところがです。フロントの人が、あちこちに、電話をかけてくれているうちに、ユーロコット社のアレキサンダー・セルゲイさんという人につながったみたいで、ホテルにきてくれたんです。この人は、けっこう偉い人みたいで、僕が書いていた「抗議文」を横から見て、すぐにクリニチェフに電話したみたいでした。コバレンコもマリアも飛んできました。二人とも、怒っているのが見て取れました。コバレンコさんは英語ができるんですが、通訳を連れてきていて、来るなり、ロシア語で「これは自分の仕事じゃない、おまえら見当違いなことをいうな。税関関係の担当はラマノフっていうのがいるんだよ」(通訳がこれを英語に直してくれました)とまくしたてました。ラマノフという人には会ったこともなく、名前も知りませんでした。でも、それまでコバレンコさんがいろいろしてくれていたのは、職務を超えて、好意でやってくれていたみたいでした。僕らは、コバレンコさんしか名前を知らなかったので、名指しで「あらゆる責任をとれ」みたいなことを言ってしまったわけで、彼が怒るのも無理はなかったと思います。

マリアさんは、30半ばくらいのキャリアウーマンって感じの人で、ハイヒールで颯爽としてました。でも、僕と此上さんは、彼女が車に乗り込んだとき、よっこらしょって感じで靴を履きかえるのを見ちゃったんです。まあ、それは関係ないんですけど、そういえば、彼女は、まだ先生とか他の方たちもいるときに来て、東大のリストを見せながら、「無線機がない」と言っていました。でも、ちゃんと無線機も入れたはずなので、そんなわけはないとこっちは言い張ったんです。実は、なかったのは、無線機じゃなくて、無線機のACアダプターだったんです。しかも、東大じゃなくて東工大のだったんです。それがごっちゃになっていたから、何も解決されないままに日がたって、僕らが帰る日になって、「荷物が出ない」ということになってしまったようでした。

それで、何だかわからないけど、すごい大型バスが来て、みんなで空港に行きました。東工大の中谷さんと僕と、マリアさんとエクスプレスサービスって会社の人と通訳の五人で話し合いました。無線機のアダプターは、もういいことになりました。僕は、後発隊が同じホテルに来るので、届けてほしいといいましたが、向こうは、週末には成田に送るから大丈夫だって言うんです。誓約書を書いてくれって言ったんですが、もらえませんでした。

結局、未解決のまま、僕らは大事な荷物を置き去りにして、日本へ帰るしかありませんでした。最後に出発した後発隊には、悪いことをしてしまいました。荷物がどうなったかですか?酒匂プロマネに相談したら、運用が始まるから、それが終わって落ち着いてからにしようとのことだったので、しばらくほっておきました。7月中旬くらいになって、少し落ち着いたので、クリニチェフのマリアさんに電話してみました。また留守で、しかたないから、エクスプレスサービスのヤナさんって人に電話しました。そしたら、クリニチェフがエクスプレスサービスに前払い金を払っていないとか何とかなので、僕らの荷物は日本に送られることなく、倉庫に眠っているっていうじゃありませんか。あれがないと、アメリカで行われるカンサットの実験のとき困るんですよ。いやぁ、萎えました。

  証言:江野口 章人(えのくち あきと)
明日、ロシアへ出発というときに、中田(ケンジ)が成田からその足で研究室に来た んです。そして、「後発隊の皆さん、すみません。コバレンコさんが切れてるから、 仕事増えました」と言って、中村さんと僕に頭を下げるんですよ。彼らのミッション だった荷物引取りができなかったから、最後にロシアまでいる予定の僕らに持ってき てほしいと言っていることは理解できましたが、ぎりぎりまでいろいろやることが あったし、あまり深くは考えないでロシアに行きました。でも、モスクワへ行って、 ああ、こういうことかと、合点がいきました。荷物のことで、ホテルに聞いても全然 知らないっていうし、コバレンコさんに聞いても、全然らちがあかないんです。コバ レンコさんの対応ですか?中村さんが電話とかしてくれていたんですけど、まあ、す ごく協力的というわけではなかったみたいです。僕らとしては、7時20分の列車に乗 るので、コバレンコさんに迎えにきてもらって、4時くらいにはホテルを出発した かったんですけど、ミモザという衛星のプロマネのラディックさんが6時にホテルに くるから、その人といっしょにホテルのバスに乗っていってくれ、とそっけなく言わ れてしまいました。ホテルから駅まではけっこう遠いので、みんな絶対に間に合わな いと思って青くなっていました。でも、そのロシアの運転手さんはすごかったです。 列車の時間を言ったら、ものすごく飛ばしてくれて。対向車線をビュンビュン走っ て、3,40台はぬいたと思います。おかげで、列車にぎりぎり間に合いましたが、 生きた心地はしなかったです。