地上局の攻防 その1
語り手:大石 力(おおいし・ちから)

1. 宇宙なのに地上局

四年生のときに中須賀研に入ったので、EMを作るあたりからキューブサットには関わり、EMでは基板も作らせてもらったりしました。僕は、通信系に入っていて、そのまま津田さんに言いくるめられて、(というと語弊がありますが)、とにかく、わけがわからないままに地上局系に入ることになりました。最初のころ、ミーティングでの会話が、全く意味不明でした。小田は一年下なんですが、無線部だったことと、コンピュータにめちゃくちゃ強いということがあって、地上局関係では、研究室の誰よりも知識がありました。小田と津田さんの会話ときたら、日本語の会話とは思えないほど、ちんぷんかんぷんでした。僕の一年上だった小笠原さんが、地上局のリーダーをしておられ、卒業されるときに僕が引き継いでリーダーになりました。自分よりずっと知識のある津田さんと小田のリーダーというのは、けっこう大変でした。

  証言:小田 靖久(おだ・やすひさ)
私の知識は、ほとんどが、東大のアマチュア無線部や一般のアマチュア無線家の方々から頂いたものでした。その場その場で、ずいぶん助けていただきました。東大の工学部七号館の上にアンテナを立ててあるんですが、そのときにも、無線部の方々の多大なご協力を頂いたと聞いています。学部の二年になったときに、私はアマチュア無線部に入部して、その直後くらいに大学衛星プロジェクトが始まったんです。それから、私も航空宇宙学科に入って、首まですっぽりプロジェクトにつかってしまいました。

地上局の仕事は、実際に衛星があがってから必要になるので、あがるまでは、あまり重要視されていなくて、あまり協力が得られませんでした。というか、僕自身が、楽しめなかったので、「みんなでやろうよ」とは言いにくかったということもあります。人を巻き込みたいときには、まず、自分がすごく喜んでやる、ということが大事なのかもしれません。それまでに、何度も何度も打上げが延期になっていたので、「狼と少年」みたいで、モチベーションを保つのも、僕自身、すごく難しかったんです。正直言うと、僕が本気になったのは、みんながロシアへ行って、打上げが近づいてきてからのことです。もう、打ちあがるんだから、イヤだとか楽しめないとか言っていられないですよね。文句を言ってる場合じゃないと思って、腹をくくりました。

宇宙なのに、なぜ地上局?と思うかもしれませんが、衛星と地球との交信をするためには、基地が必要なんです。基地といっても、そんなに大げさなものでなくて、衛星からの電波を受信できればよいので、本郷の工学部七号館の屋上にアンテナを作って、2階の研究室に無線機とかローテーターコントローラーとか、必要なハードウェアを置いていました。

● 火を噴くローテーター

打上げの一ヶ月前くらいに、ローテーターが壊れたんです。ローテーターっていうのは、アンテナの軸に取り付けて、アンテナを電波の入る方向へ回転させるようにするものです。もともと、あまり調子がよくなくて、時々、研究室においてあるコントローラーが火を噴いたりしてましたから、買い換えることになりました。僕は、5月は、就職活動の真っ最中で、ほとんど顔を出せなかったので、メールで連絡がきました。本番で火を噴かれても困るので、メーカーを変えて購入することにしました。

アンテナ取り付け 6月19日に、新しいローテーターを屋上のアンテナに取り付けるという作業を行いました。このへんは全部、小田が仕切ってくれました。小田がいなかったら、できなかったと思います。たぶん、業者に頼んだんじゃないかと思います。取り付けのときに必要なものとか、誰も知りませんでしたが、小田はさすがによく知っているんです。防水テープとかいろいろ教えてもらって、秋葉原で調達しました。アンテナは大きいし、細い棒がたくさん出ていますから、作業はけっこう危ないんです。研究室の四年生を動員して、みんなでやりました。僕は、その日も就職活動だったのですが、いよいよ取り付けというときには間に合いました。

ローテーター取替えの作業は一日で終わったんですが、コントローラーのケーブルを作るという作業がありました。コネクターを買ってきて、はんだ付けして、ケーブルを作るんです。ソフトウェアがそのまま使えるのは助かりました。そういったもろもろのことが終わってから、やっと、試験して、うまく動くことを確認しました。試験ですか?他の衛星の電波を受信して、トラッキングのソフトウェアがうまくいっていることとか、無線機とアンテナがちゃんと使えることなど、確認していくんです。

6月30日には打ち上げ本番なのに、このとき、すでに一週間前くらいでしたね。焦っていなかったというと嘘になりますが、今までの経験からいって、大丈夫だろうと思っていました。ぎりぎりだけど、間に合わないということはないだろうと思っていました。

  証言:小田 靖久(おだ・やすひさ)
ローテーターの取り替えのときも、アマチュア無線部の先輩にはお世話になりました。7号館の屋上で据え付け工事をしていたら、ポケットに入っていたPHSが鳴るんですよ。なんだろうと思ったら、となりの8号館の窓から見ていた機械工学科の先輩からの電話で、「あれ、まずいよ」と。建物が隣同士なので、よく見えるんですよね。ケーブルのつけ方があまりよくなかったみたいで、リアルタイムでアドバイスをもらいながらやりました。予想をはるかに越えて、アマチュア無線関係の方々には、暖かなサポートをいただきました。上がった後も、多くのアマチュア無線家の協力を得て運用が進められています。私にとって、地上局ネットワークは、「協力を仰げる人たちのネットワーク」という意味で、宇宙部落と他のコミュニティをつなぐノードとしての意味があり、そう意味でこそ、地上局ネットワークは真の位置づけができるんじゃないかと思っています。

● 打上げ直前のソフトウェア

地上局に必要なのはハードウェアだけじゃありません。ソフトウェアも大事で、それによって運用の効果も効率も大きく違ってきてしまいます。自動的にアンテナの向きとか周波数とかを変えるソフトは、僕と小田で作りました。JUDOと小田が命名しましたが、どういう意味なのか不明です。直前になって、パソコンから無線機の周波数とかモードを変えることができるソフトが完成しましたが、これにはLAQOONという名前を小田がつけてくれました。(なぜこういう名前なのかは、やっぱり不明です)それから、僕はJAVAをやっていたんで、それを使って、ネットを通して、キューブサットが世界地図上のどこを飛んでいるのかが一目瞭然にわかるようなソフトも作りました。これは、バーチャルグラウンドステーションというわかりやすい名前にしました。地球上のどこからでも、ウチのキューブが今どこにいるかがわかるようになっています。地上局は人手があまりにも少なかったので、電子系や電源系の解析ソフトは、それぞれの担当者に作ってもらいました。

  証言:小田 靖久(おだ・やすひさ)
私の命名が意味不明と言われているのは、部分部分のコードネームとして、便宜的につけたものだからと思います。クライアントプログラムとサーバープログラムを対で作る時に、ある作品の登場人物をペアでつけていったという経緯はありますが、意味は特にないんです。本当は、打ちあがる前に、それらのプログラムを統合して一つのものにして、それにちゃんとした名前をつけようと思っていたんです。でも、できあがる前に打ちあがってしまったというのが正直なところです。でも、このソフトは、本当は、リモートで運用ができるようなものを目指していたんです。つまり、菅平の地上局での運用を東京でできる、というようなものです。信頼性にちょっと問題があったので、結局、打上げのときは、菅平にはりつくことになりましたけどね。

それから、ドップラーシフトを利用して、ビーコンの周波数の変化から軌道推定をするソフトを作ろうとしていたんですが、できないうちに、キューブサットが打ちあがってしまいました。吉田さんがぎりぎりまでがんばってくれたんですが、まにあいませんでした。いつあがるかわからない衛星のための地上局ソフトを作る意欲は持ちにくかったということもあるんですが、けっこうハードルも高かったと思います。宇宙研の先生に相談したら、「それはいい、ぜひ作ってください」と言われたりしました。誰も作ったことがないようなものだったんです。他の大きな衛星の場合は、別の方法で軌道推定ができるんですが、キューブサットのような小さなものだと、使えないので、軌道推定ソフトは必要でした。

でも、直前の一週間は一年分以上に作業が進みました。音を解析するためには、いくつかの段階かの作業をしないといけないですよね。ソフトウェアをきっちり作っておけば、自動的に全部できるわけです。既存のソフトを使おうと思ったんですが、うまくいかなかったんです。そしたら、永島さんが、マトラブ(MATLAB、科学技術計算のためのコンピューティング環境)を使って音の解析をしたことがあるとかで、「マトラブ使えばできるんじゃん」と簡単そうにおっしゃったので、マトラブハンドブックを見ながら、やってみました。そしたら、関数一個でできちゃったんですよ。これは別に僕が賢いんじゃなくて、マトラブが賢いんですけどね。

それで、これならできるだろうと思ったんですが、実際には、たくさんの要素をいれないといけないんです。できるのはわかっているけど、手間がかかるんです。どうしようかと思っていたら、ロシアから帰ってきた先発隊が手伝ってくれることになりました。酒匂さんが、永井を地上局要員にまわしてくれて。それで、最初、二人でマトラブを使って、やっていました。永井がもっといい関数を見つけてきたりして、けっこういい感じでした。その後、石川、永井、武井の三人でチームを組んでやってもらったら、なんと一日で、履歴を一本にして、使える形にしてくれたんです。

打上げの前には、さすがに、みんな地上局の手伝いをしてくれるようになりました。僕自身、だんだん気合が入ってきているのがわかりました。