打ち上げのクライマックス
語り手:占部 智之(うらべ・ともゆき)

● 第三陣、プレセツクへ

日本から飛行機でモスクワへ、そしてモスクワから北東へ800km、針葉樹の森の中を寝台列車にゆられて約18時間、僕たち第三陣はプレセツクに到着しました。(研究室のメンバーが、第一陣:ロシアへの衛星搬入、第二陣:ロケットへの衛星搭載、第三陣:打ち上げ時の日本への情報伝達、の役割に分かれてロシアに渡航しました)

プレセツクは軍事基地ということもあり、独特な雰囲気のある町でした。あきらかに時間の流れがゆったりとしている気がしたのは白夜のせいもあったのでしょうか。それに多くの現地の人々が日本人を目にするのが初めてということも、僕たちに不思議な雰囲気を感じさせました。道を歩けば、子供たちからは指をさされ、年配の方はちょっと離れて通りすぎる感じでした。レストラン(カフェとでもいった方がよいかもしれません)で食事をすれば、若者グループの興味をそそり、度胸試しの対象として声を掛けられることもありました。かと思えば次の日には、イケバーナのおばちゃん(参照:東大CubeSat物語)やプレセツクに配属になったばかりの軍人さんと仲良くなったりしました。

● いよいよ打ち上げ

そんな生活を送りながら、打ち上げの準備(管制室と日本とのネットワーク接続確認作業、打ち上げ前の情報連絡など)は着々と進み、ついに打ち上げ当日をむかえました。風速などロケット打ち上げ環境に問題ないことを伝えられたのち、ホテルから管制室へ向かいました。打ち上げ1時間前から日本とチャットでの連絡を開始し、事前情報の提供や打ち上げ後の段取りなどについて最終的な打ち合わせをしました。今回は、8機の衛星を同時に打ち上げるギネスもののキャンペーンとなり、管制室には色々な衛星の関係者が待機していました。

作業風景
打ち上げ準備

管制室全体(といっても小さな小部屋ですが)はとても落ち着いた様子で、たまに集まって話をする人がいる以外は静かな雰囲気でした。後で調べて分かったんですが、プレセツク射場は1990年代初頭までは年間50回を超えるロケット打ち上げが行われていたらしく、現在までに1500回前後の打ち上げ経験を持つとても歴史のある射場なんだそうです。(日本はまだ数十回の打ち上げ経験しかないのに比べても格が違います・・・)ロシアにとって、ロケットの打ち上げは日常業務的なものに過ぎないのかもしれません。

● リフトオフ!

打ち上げ20分前くらいになると、静まり返っていた管制室に色々な人が出入りして最終確認を行うようになりました。そして打ち上げ7分前に最後の風速確認などが行われた後、ついにロケットが組み立て棟から姿を現しました。いよいよCubeSatプロジェクト最大の注目を集める瞬間です。チャットを通して日本に1分前からカウントダウンを伝えました。

"10秒前、9、8、・・・、3、2、1、リフトオフ!リフトオフ!!"

打ち上げ 打ち上げ
打ち上げの様子

リフトオフの瞬間に僕はあるメッセージを日本に送りました。
"One small step for cubesats, one giant leap for small satellites!"
まあ、どこかで聞いたようなセリフですが。この打ち上げに至るまでに何度も打ち上げ延期、契約破棄なんてことがあったので、学生が作った衛星が本当に宇宙に打ち上がるなんて夢にも思っていませんでした。そういった困難を経て踏み出すことができた宇宙への第一歩でした。この打ち上げをきっかけに、今後世界中で学生による小型衛星の開発が促進されることと思います。

● We got a signal!

ロケットはあっという間に空の彼方へと消え去り、あとはロケットがすべての衛星を分離するのを見守るのみとなりました。(衛星は軌道周回中にロケットによって自動分離されます)CubeSat以外にもチェコの初めての衛星であるミモザなどの衛星が分離される予定になっていました。ミモザの唯一の代表として管制室にラデックさんという方がいらっしゃいましたが、状況が気になるようで、非常にナーバスになっていました。ロケット側の代表者のヨークさんを始め周囲の方々が「ラデック!」と声をかけて励ましていたのが印象的でした。まもなくロケットが地球を周回して可視領域に入るということで、「席に着くように」との指示がヨークさんから出され、関係者は各地上局と電話をつなぐなど、それぞれ待機状態に戻りました。

管制室
管制室

"We got a signal!"
突然、声が上がりました。ラデックでした。ミモザからの信号を地上局で受信したとの連絡が入ったのです。自分たちが初めて作った衛星からの電波を受信した時の気持ちという意味では、僕たちも後ほど同じ気持ちを体験することになるのですが、ラデックは国を背負って初めての衛星を作ったわけで、その想像しがたいプレッシャーから一気に解放された歓喜の声でした。静かだった管制室が、一時、拍手喝采の大盛り上がりとなりました。しばらくするとウォッカでの乾杯が始まりました。

CubeSatの日本での可視時間はまだ数時間あとだったので、僕たちは「あとは君たちだけだね!」と何気にプレッシャーをかけられながら管制室をあとにしました。それにしてもあっという間の打ち上げ運用でした。日常業務みたく淡々と打ち上げを進める様子には、やはりロシアの宇宙開発の(日本に比べると)長い歴史の中で培われた自信というか経験値の高さを感じさせられました。また色々な国の人間が一つの管制室に集まって打ち上げを見守り、お互いの成功を喜び合う姿には宇宙開発によってもたらされた国境を越えた交流を感じることができました。いつか日本のロケットもこうやって外国からの衛星を、自信をもって迎え入れることができる日が来ると素晴らしいですね。

● ロシアンウォーター事件

ロケット打ち上げ後のバンケットは、すごいテンションで行われました。ロシアの方は話すことが大好きですね。宴の席では話をしたい人がグラスをフォークやナイフで"チンチンチン"と鳴らし、自分に注目を集め、話をするんです。話終わると読んで字の通り"乾杯"とばかりに一同が皆グイッとウォッカを飲み干します。5分くらいしたら、また別のところから"チンチンチン"って音がするんです。宴のあいだ中ずっとそんなノリでした。ワイングラスに溢れんばかりのウォッカを一気に飲む方が居たりして、僕たちもウォッカを飲みまくっていました。緊張がとけたせいもあって、本能が命ずるままに動いてしまったような人も見かけましたが、すべてロシアンウォーターの魔力によるものだったということにしておきましょう。

● 感謝をこめて

キューブサットに関わって、いろいろな経験をしましたが、プレセツクでの打ち上げがやはり自分の中でのクライマックスといえると思います。さまざまな初体験をすることができました。 こういった経験をする機会を与えていただいたことに本当に感謝しています。まずは松永先生、中須賀先生。そして共に苦楽を共にした研究室のメンバー。東大のメンバー。また周囲にいたってはもう数え切れないくらい多くの方々に感謝の気持ちを伝えたいです。こうやって記録を残されている川島さんにも深く感謝いたします。

キューブサットプロジェクトに参加できて、本当にかけがえのない時間をすごせました。
この3年間で得た精神は、"Not Because They Are Easy, But Because They Are Hard." ということです。これからも、困難なことにどんどんチャレンジしたいですね。