目次

はじめに


キューブサット物語について

プロローグ


プロローグ

第一章

1999年11月
魔法の続き ― カンからキューブへ 
   
ハワイでの宇宙工学専攻の日米学生の会議。98年のCanSat(ジュース缶サイズの衛星)の提案に続き、99年には、CubeSat(1辺が10センチメートルのサイコロ型衛星)の提案が、スタンフォード大学のトィッグス教授からなされた。

第二章

 1999年12月〜2000年11月  
キューブサットプロジェクト始動
BBM製作。99年のハワイ会議で、1年後に各大学でBBM(ブレッドボードモデル)を製作して持ち寄ろうと約束したのを律儀に守ったのは、東大チームのみだった。

第三章

 2000年11月〜2001年12月31日
フライトモデル完成――苦闘一年
初めての経験の連続。技術的な困難に取り組み、汗と涙をぬぐいながら、命をかけて製作に打ち込むメンバー。人生で一番つらい体験だったという実験をくぐりぬけ、フライトモデルが完成する。それなのに、打ち上げが延期になるという不条理。

第四章

 2002年1月〜2002年12月
打上げの希望を持っては打ち砕かれる無念の日々。打ち上げを見ることなく卒業していく仲間たち。その中でも、カンサットプロジェクトに燃え、連続運用試験を行い、学会で発表し、キューブ二号機の概念設計に取り組む面々。

第五章

2003年1月〜2003年5月
 ロシアのロコットでの打上げが正式に決定。中須賀、松永がロシアでのミーティングに参加。今度こそ本当らしいと、準備に励むメンバーたち
T-POD作動せず

第六章

2003年6月〜7月
ロシア経由、宇宙行き

ロシアのプレセツクで打ち上げることになり、準備のため6月上旬に成田を出発。モスクワから18時間の汽車の旅。酔っ払い軍人との腕相撲騒動など、珍道中の間、キューブサットを大事に守り、無事に現地へ。衛星搭載作業を終了し、打ち上げの日を迎える。

第七章

2003年7月〜
衛星運用

第八章

2004年7月〜

エピローグ
エピローグ